他人から新郎新婦、そして夫婦、それでも他人。
しかし、親よりも長くいるであろう人物。
子供の茶碗よりも、その茶碗を洗う回数多く。
血が繋がってないのに、その関係。
おめでとう。
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画家。16歳で単身渡米。その後世界各国を放浪。 日本、そして日本人としてのアイデンティティーを主題に、 世の中の不条理を現代という歴史にのせて描きだす。 日本文化と日本文学をこよなく愛する。 ロンドンのギャラリー、Arts to Lifeに所属。
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反抗というやつは、1歳にしてすでにやってくるらしい。
反骨精神とか、反発とか、本来誰でも持っていて自由に発動していいはずのものが、
今の時代どんどん削がされている気がします。社会に。
どこがでのインタビューかなんかで、心の、人の豊かさとはなんだ?というようなことを耳にした。その答えはきっととてもシンプルで簡単だ。手と脳みそと火が使える人間だとしても、自分のアイディアで生きるということ。ルールは増え続け、全てが簡素化され、想像力を奪っていく。去勢されていくようなものだ。草食系たるものは、人間本来の能力を制限。心はスカスカになり、きっと豊かさなんて単語自体が消えるかもしれない。
この世代への従順より、次世代の反抗を。
ポートレイトが好きだ。ルシアン・フロイドやフェルメール、ベラスケスなんか、大好きだ。ただ、自分ではあまり描いてこなかった気がする。
ポートレイト。絵が持つパワーと、描かれている人が持つパワーが共存する。
数十枚のポートレイトを一気に描いた。
描いている時、描こうとしている被写体に対して、大きい愛情を感じた。
その人が持つ、幸せも悲しみも狂気も感じるような気がする。感じている気になっているだけなのかもしれない。が、とにかくポートレイトは、夢中になれる作品の一つだ。
社会的なメッセージは何一つ含まれていない。とても精神的な作業だ。
絵とか芸術というものは、そおゆうことなのかもしれない。
新作です。寒くなってきてしまいましたね。28年間、夏が苦手と思って生きておりましたが、冬が苦手なことに気づいてどうしましょう。冬は体が動きづらい、汗かかないと、なにか、なにかが溜まる気がするのは気のせいか?
なかなか筆が進まない事山の如し。手を動かすよりも、右往左往。
やってきました。THIS IS オオシロムネユミ。
約半年前には完成したはずの作品が、どうにもこうにも、部屋の真ん中にあるもんだから、毎日眺めていると、足りない気がするのであります。しかし何が足りないのかは、まるで見当もつかない。
日本とは何か。日本の象徴は?それは、キティーちゃんである。
ミッキーマウスを凌駕しているのか?ある側面ではしているのであろう。戦ったら勝てそうもないが。いずれ!なんて思っていた次第であります。
古来、鬼という存在は、何か怖いもの、不安、得体のしれない大きいものを示すはずだった。実際に鬼はいたのか。それはわからない。しかし、現代に鬼は確実に存在する。
良くも悪くも。。。
どこかのでっかい国。
こんにちは。これからの次世代のために伝えなけらばいけない我が国の体験。
それは今回の311だけではなく、大東亜戦争であったり、明治維新であったり、隣国や大国との付き合い方であったりするわけですが、そんな大きな事も含め、街の至る所では、
日本の文化自体を破壊しかけない土地の買収、 不法占拠、あるいは独占事業など、イチ日本人として、イチ市民として戦っていかなければなりません。
そんなこんなで、近い将来に向けての準備に忙しく、久々の作品と更新になりました。
というわけで、やってまいりました。THIS IS オオシロムネユミ。
今回は原画。久々の、それもかなり久々、学生以来となりますか。ドローイング。
難しい。そして、制作過程に飽きる。
ペインティングの場合は、途中修正も可能で、塗りたくる動きとしての楽しさがあるわけですが、紙へのドローイングの場合は 、失敗は許されず、色、構図、線、あらかじめ全てを決め、液だれやインクの飛散など、細心の注意と最大限の敬意を払いながら進めていきます。
自分のイメージとの違いは必ず出てくるわけで、まったくもって不愉快を極めるのであります。
記録としてのデータは多々存在していますが、「記録」としての絵画は、最近なかなかお目にかかれない気がしております。写真、映像が発展した現代では、それも実際必要ではないかもしれません。しかし、後世にはきっとその必要性を感じる瞬間があると信じ、
あるいは、あえてそれを残そうとする行動によって、
説得力のある伝承が受け継がれていくのではないかと思っております。
こんにちは。日々、不安材料を拭うことに必死な報道に違和感を覚えながら、やって参りました。
THIS IS オオシロムネユミ。
確実に汚染されていることはわかっていた。ド素人の一国民ですら、わかっていたのに、なぜ検査をしなかったのか。狂牛病が発生した米国。デフォルト寸前の米国。
このまま米国産の牛肉が日本に出回ることになれば、またもや違う恐怖に怯えながら生活することになってしまわれそうだ。
牛、土、水、草、ならば、鶏も豚も危ない。
正直、この大震災により、付け入られる隙は多々ある。しかし、日本国民が危険にさらされることには、心の底からNO!
言えない体質を変えるのは、一人でも多くの日本に暮らす人々が声を上げること。
それは、すべて子供たちのためであり、未来の日本、そして世界のため。50年も前から言われ続けているが、先代のツケを払う時、しかしそのツケは払われず我々の世代に脈々と受け継がれてしまった。今、この時代、ツケを払うチャンスであり、ツケを次世代、今の子供たちに押し付けては絶対にならいと思うのであります。
現在日本では、匿名という特権を乱用し、インターネット上では、汚い罵り合いが至る所で行われているのであります。気に入らなければ、自分の意見を堂々とぶつけ議論すればいいものを、汚い野次、罵倒、叱咤、問責。まさに理由なき反抗とでも言うような、どこまで行っても、単純に汚い世界が広がって。
国内で叩き合うのは、外からの圧力に対抗でき、自国を強化した後であることを望みます。インターネットが一つの表現手段になりツールとして躍動する今、発言の自由は増し、表現の自由も増した。ただ、言論の自由、表現の自由、本来それらは文字通り自由であり、叩き合うべきことではない。
ガシガシガシッと、すべての日本人の目標が日本復興であり、それを目指す過程、方法は何通りもあることを理解しなければならないと思うのでありました。
今まで斜に構えて見てきたことも、斜めから言ってきたことも、向き合って、
YES/NO!
いつまで続くのでありましょうか。混沌は続くよどこまでも。
やって参りました、This is オオシロムネユミ。
欧米にとって、戦後唯一の誤算が、田中角栄の存在であったのでありました。
日中友好条約。これほど厄介なものは、なかった。今、この混沌、カオス、雑多な日本社会にとっての策は、アジアの連帯。その中でも、ロシアは重要な位置にポジション穫りをしているのであります。あの広大な土地は、この極東の地までせせり出て、その存在感をアピール。善悪は別として、それをまとめ上げる、プーティン。
実にシンプルに自分の感情を言うならば、好きではないのであり、怖い。
日本の長は、何も見えない、何も聞けない、そして言えない。
実に久々の手描き。オイルペインティングであります。実にシンプルに気持ちいい。
自分の手により、だんだんと埋まっていく、キャンバスの白のスペース。上から描き直す時の緊張感と集中力。大きさ。その物体自体。どれをとっても、デジタルでは味わえない温かさであります。ただ、時間はかかる。かえようと思えば,きっと死ぬまで続く。
とにかく、あらゆる怒りや反感やアンチな感情を抜きにして、作業自体が純粋に楽しいのでありました。ワタクシの作品、はっきりしている事は、とてもじゃないが精神的な作品ではない、ということ。どちらかというと、分かりやすい、あるいは幼稚な、なかなか取っ付きにくい。そんな感じでありましょうか?
今作は、3連作になる予定でありますが、いつ出来上がるのかは、未定であります。今夏中には、あるいは、8月が終わるまでには。
少々風邪を引き、ぶり返し、そしてぶり返し、延べ2週間。
頭痛を引きづりながら、やって参りました。
This is オオシロムネユミ。
絵を描く時は、主に油絵。何かを訴えるのに、デジタルで作ったものよりも、きっと説得力があるはずだと、信じております。ただ、ワタクシ、この作品、デジタルで作って、
そこには矛盾が産まれておると感じているのも事実であります。
しかしながら、このデジタル作品が消化されキャンバスに描かれるはずであり、描くはずであり、アナログ的に生きることこそ、本来の通り。
ただいま、新作を製作中で、できあがるのもあと数日かというところ。その合間に、デジタルという利便なツールを使い、また違う思いをメモするように、
記録として一つの形にする。
この場合、作品自体の質、善し悪しは考えず、 単純に思いや、想いの記録を形にするということ。
シンプルでいるということ。
元来、マツリゴトとは、祭。すなわち、 自然崇拝主義のここ日本において、
日々の暮らし、生きる糧を与えてくれる穀物、天海の恵みに感謝し、
その恩恵を祭ることに始まっていると思われるのであります。
実に単純明快、シンプルであるということ。
現在のマツリゴトは、政であり、混乱を招くだけの空騒ぎ。
ワタシは奉って生きていきたい。
This is オオシロムネユミ。
アメリカという国は何をとっても、やはり大国である。
無論、ゴミもそうである。ここジャパンの比ではないほどの、大量のゴミを廃棄する。街は、多種多様なゴミで溢れ、臭う。森へ行けば、麻薬中毒者たちが徘徊し、使用済み注射器や、アルコールの缶、瓶などの残骸をまき散らしている。
コンニチハ。
ワタクシ、この大変な世の日本で、本日よりflatter BElogメンバーとして、ポスティングさせて頂く、This is オオシロムネユミ。10年余りに及ぶ放浪で、体中の思いを絞り出して、あるいは、偏りかけている思いを貼りつけて、やっと昨年日本に帰国した次第であります。
今回、このプロジェクトへ声をかけて下さった方、諸々の準備をして下さった方々には、感謝、それ以上に感激しております。ありがとうございます。
さて、独りで見知らぬ土地をフラフラしていると、予想も出来ないことが凡発し、あるいは、予想していたことが全く別の形に変化し襲ってきたりと、なかなか面白いのでありますが、そんなちゃちな小さいワタクシの歴史も少々織り交ぜながら、お送りしたいのであります。
今回は、初日、初書にて、抱負を一つ。
ナウ自分が住んでいる国に思いをよせ、希望を持ちつつ、声高々に、
がんばろうニッポン。
なんて叫びたい。